小学生の頃から体を動かすことが大好きだったため、陸上、バレーボール、ドッジボール、水泳などを習う。
竹田南部中時代は陸上部がなかったため、バレーボール部に入部(ポジションはレフトアタッカー)。
大分雄城台高校に入学後、 本格的に陸上競技(やり投)を始める。1年、2年生時は肘の故障などもあり、思うような結果がでなかったが、2年生の冬に自分の取り組みを見直し、3年生時には奈良インターハイ3位、新潟国体では高校時代の目標であった「日本一」に。
高校卒業後は、順天堂大学に進学。3年生時に日本選手権6位、関東インカレ優勝、4年生時には全日本インカレ3位という成績を収めた。